髪を切るということ 07
満月、または新月
長田佳子 / 菓子研究家
1年に1度、髪を切っています。自分の中でそろそろ美容室に行こうかな、行った方が良いかな、と信号が出てくるんです。でもその“そろそろ”という感覚が一体何に由来しているのか。毛先がまとまらなくなってきた、身長と髪の長さのバランスが悪くなってきたなど、色々と理由は思いつくものの、きっとそれだけでない“何か”があるのだろうと感じています。
子どもの頃は髪の中に自分が隠れていたくて、今よりも長く伸ばしていた時期もありましたし、逆にばっさりと切りすぎて学校の先生にすごく心配されたこともありました。「髪切ったの?」。いつしか人にそう言われることを照れ臭く感じはじめて、人に気づかれないような自分であることをベストと思うようになりました。結んでいると風通しがよくなる感じがあったので、なんとなくこの形に留まるように。髪と同じように衣服も似合う・似合わないを気にしたくなくて、選択肢を減らしながら似た形や色の衣服を好んで着ています。それも何回か洗濯を繰り返すことで、ようやく自分にその衣服が馴染んでいくような感覚があります。髪型も洋服も真新しいと、どこか恥ずかしくなってしまうのかもしれません。
ホリスティックな魔法使い
私は日々、さまざまある物事に対して、どこか能天気でいたい、鈍感でありたいと思っている節があり、人に気づかれたくないことに通じているのかなと思います。同時にそれは自分自身を保護するための方法であり、そばにいる人に安心してもらいたいという気持ちでもあるんです。でもある日、美容師の潤さんに「自分は鈍感と思っているかもしれないですけど、猫の髭のように柔らかな髪がいろんな物事を察知して、長田さんに余分なものがつかないように、自ら切れながら守ってくれていますよ」と言われました。鈍感になって楽をしようとしていたのは自分の一部。でも身体、皮膚であり呼吸する髪にはすべてが出てしまっているんだなと、驚きながら同時にほっともしました。潤さんにはすべてばれてしまっていたんです。髪を切る人はホリスティックな魔法使いだ!そう感じました。
髪には“それ以上”に出ちゃっている。その現実を知って以来、“何かもっとこうしたほうが良いのではないか”という思い込みから解放されて、今の状態を受け入れながら整えることが、自分には合っているのだなと思うようになりました。潤さんは一年に一度、髪から私をきれいに整えてくれますが、最後は自分で髪を結ぶように促してくださいます。私はそうやって安心して、いつもの自分に戻ります。
ある時、髪を切る日が満月、または新月だと気がつきました。それで「今日は新月ですね」と、潤さんに話をしていたところ、「『私は年に一度、満月か新月の日にしか髪を切りません』ということにしてしまえば、ちょっと怪しくておもしろいですね」と言われました。確かにそうやって決めてしまえば、髪を切るということが神聖なルーティンとなってくれる上、余計なことを考えずにすみそうです。
長田佳子OSADA Kako
菓子研究家
老舗フランス料理店のパティシエ、オーガニックレストランでの経験などを経て、2015年に独立し、foodremediesの名義で活動をスタート。「レメディ」は“癒やし”や“治療”などを意味する。2021年春から山梨県甲州市に移住し、ワイン貯蔵庫だった倉庫を改装したアトリエ『SALT and CAKE』をオープン。近書に『別冊天然生活 はじめての、やさしいお菓子』(扶桑社ムック)がある。
https://foodremedies.jp
取材・構成:水島七恵