髪を切るということ 11
不完全な着地
岡尾美代子 / スタイリスト
髪を切って、社会に戻る
幼い頃からできるだけ髪のことを考えないようにしてきました。髪をさわったり、整えたりすることが苦手。母方がみんな薄毛の家系ということもあって、私自身も薄毛の天然パーマで、子供の頃は今よりももっとぐるぐるしていたんです。髪の毛はもつれて櫛を通すのも痛いし、とかしてもすぐに元に戻るので、あきらめていた部分も大きかったように思います。
それでもティーンエイジャーの頃はテクノカットをしてみたり、自分がいいなと思う髪型にしていた時期もありました。ところが30代半ばになると急に気持ちが減速し、後ろ向きに。こうありたい自分と実際の自分とが遠く離れてしまって、自分の姿を鏡で見ることが怖くなっていたんだと思います。
コンプレックスを抱えていた私にとって、美容室に予約を入れることは重い腰を上げる作業になっていました。先々の予定をスケジューリングすることが大の苦手でもあったので、いつしか予約を入れるという行為自体が億劫となり、伸びに伸びた髪はいっそうボーボーに。その繰り返しをしていました。
だからこそ私にとっての髪を切るということは、自分の社会性を整えることだったんですね。ボーボーに伸びて、乱れていた髪をきれいにすることで、どこか自分自身が社会に還っていくような、そんな感覚がありました。
でもここ最近は髪を切ることも、鏡の前で自分の姿を見ることも、嫌ではなくなりつつあります。還暦を迎えたからでしょうか。自分の生まれ年の干支に戻ることで自分が自分に立ち返りつつあるというか、こういうものが好きだったなとか、こうしたかったんだなとか、後回しにしていた自分のコアな部分が蘇ってきた感じがあるんです。あとは歳を重ねるほどにちゃんときれいにしておかないと、くたびれた人に見えてしまいます。だから、人が当たり前のようにしていることを自分もちゃんとしなくては、と。
昨年は月に1回、髪を切りに美容室へ行こうということを心がけていました。ちょっと予約をしそびれて、再びボーボーになったこともありますが、それでもだいぶ髪を切るようになりました。気持ちがいいです。
偶然を生きる
高柳さんに髪を切ってもらうようになって約5年になります。最初、「切ったばかりに見えないように切っていただけたら。切っている途中の、不完全な着地でもいい」というような会話をしました。高柳さんはそれを理解して、いつも適当な感じにしてくださるのがありがたいなと思っています。
私は高柳さんがよくおっしゃる「整える」ということに感化されているところがあります。あくまで私のイメージですが、整えるとは風が通るようなイメージ。あるべきところに物がある。耳の後ろがきれい。とか、そういうきちんとした生活のイメージ。考え方がまとまっている。といった心情もまた整っていることかもしれません。スーと、淀みのないことです。
憧れます。私自身はいつもこんがらがっている人間なので、例えばひとつのことをしていても、他のことが気になるとそっちに行ってしまいます。でもそれが偶然を生むことにもつながるので、自分の仕事ではその偶然を生かすしかないと思っています。現場の空気をただ捉えるようにしていて、無意識になることをいつも意識はしているのかもしれません。
髪を切ってもらっている時間はすごく眠くなります。高柳さんは熱い方なので、最近では水のことなど、今関心を持っていることを色々話してくださるのでそれを聞きながらも、すごくリラックスしてしまうんですね。だから髪を切ってもらった後、少し眠れる部屋があるとすごくいいなと思っています。
そうそう、髪を切り終えるとすぐに私は帰されちゃうんです。「うん、うん」と話の余韻に浸っていても、さっと帰されてしまうのがいつもおもしろいなって。その度に高柳さんはもう次の場所へ行ったんだなと思っています。これ、内緒の話ですよ(笑)。
岡尾美代子OKAO Miyoko
スタイリスト
高知県生まれ。雑誌・書籍・CMなどさまざまな媒体のスタイリングを手がけるほか、旅や雑貨にまつわるエッセイを書いたり、鎌倉で友人とともに「DAILY by LONG TRACK FOODS」を営む。著書に『おやすみ モーフィ 岡尾美代子の毛布ABC』など。
https://longtrackfoods.com
取材・構成:水島七恵