髪を切るということ 15
自分の手で、誰かのために
百瀬あゆみ / ヘアスタイリスト
小学生の頃から美容室に行くことが大好きでした。いつも可愛い服を着てお客さまと楽しそうに話す美容師さん。その姿が幼い私の目にはキラキラと輝いて見えたのです。あの空間で過ごす時間はとても幸せで「美容師になりたい」と自然と思うようになっていました。最初のきっかけは、あの頃に抱いたまっすぐな憧れからだと思います。
高校生になり進路を考えるタイミングの時、美容の専門学校へ入学を志望しましたが、両親の反対もあり、いったん短大へ進学することになりました。
東京での短大生活が始まってからも、美容師への気持ちは捨てることができず、毎月のようにいろんな美容室に行きました。通いのお店を決めるのではなく、とにかく気になるところを見つければそこに行ってみる・・・の繰り返し。美容室に行くと幸せな気持ちになるんですよね。もしかしたら自分の素直な気持ちを確かめるように行っていたのかもしれません。
そんなある日、たまたま本屋さんで渋谷にサロンを持つ、ある美容師の本に出会いました。寝る間を惜しんでストイックにカットの技術を磨き続ける一方で、音楽やファッションといったカルチャーとも交差しながら活動の幅を広げていく。美容師という仕事の可能性を押し広げていくその姿に、「やっぱ美容師はかっこいいな」と強く心を動かされたのを覚えています。
ただ、その方のサロンには、まだ一度も足を運んだことがありません。いつかは行ってみたいと思いながらも、実際にお会いしたら緊張して何も話せなくなってしまいそうで、なかなか一歩を踏み出せずにいます。好きなアーティストほど、逆に近づけなくなる——そんな感覚と、少し似ているのかもしれません。
惹かれたのは、スタイルではなく、その奥にある思想の部分。美容師という仕事をここまで情熱を注ぎ、誰かの人生を変える気持ちで向き合っている人がいる。その事実に触れたことで、私の中にあった「美容師になりたい」という気持ちは、いつの間にか「美容師になる」という覚悟に変わりました。そして短大卒業後、もう一度両親を説得し、専門学校へ進みました。
少しずつ、見えてきたもの
私の心が動かされるのは、いつもその人の考え方——思想です。
就職活動をしていた当時、いくつかのサロンの話を聞いたり、調べたりしましたが、どこか決めきれずにいて。そんな中で出会ったのが、大阪にある美容室の社長が掲げていた「人を美しくできる人をつくり、世界を変える」という理念でした。人を美しくすることは外見だけで完結するものではなく、その人の内側や人生にも向き合うこと。技術やデザインよりも先に、人としてどう在るかを問われているようで、あの本屋で出会った美容師の姿が重なりました。「ここで働きたい」。そう思い、大阪の美容室への就職を決めました。
実際に働いてみると、その考えは言葉だけのものではありませんでした。先輩方はとても面倒見が良く、同期もみんな温かい人たちばかり。技術だけでなく一人の人間として時間をかけて向き合ってくれました。家族以外の人からこれほどまでに愛情を注いでもらったのは、初めてに近い経験だったかもしれません。
そんな心地の良い環境に身を置いてから、ジュニアスタイリストになった頃、SNSが急速に広がり、会社としても発信に力を入れていこうという流れがありました。実績も技術もまだ伴っていない分、自分をどう見せるか、どう発信するかが必要だと言われる空気もあり、私もその中にいました。「頑張らないと」。その波に応えようと必死だったと思います。気がついた頃には、練習に向き合う時間も減っていて・・・。「これでいいのだろうか」と何度も自問しました。「もう一度、基礎に立ち返ろう」そう思い、とにかく毎日練習を続けました。特別なことをするのではなく、ひたすら手を動かしていく。そうしているうちに、少しずつですがお客さまも自然と増えていくようになりました。日々の積み重ねしかその先に進めることはできない。今もそのことを忘れず、練習は欠かせません。
理念に惹かれて飛び込んだことも、深い愛情を受け取ったことも、迷いながら模索した時間も、そのすべてが確かに自分の中に残っています。この美容室で過ごした5年間は、私の中で「髪を切る」ということの輪郭が少しずつ形づくられていった時間だったと思います。
切ること、切られること
2025年の4月21日。地元の長野・松本で、二人のスタッフと共に自分のお店「Endorr(エンドア)」を開きました。
思い描いたのは「温水プール」のような空間。プールの中にいても、プールサイドにいても、どこにいてもあたたかくて、ふわっと力が抜ける。そんな自然と気持ちが緩んでいくような空間をつくりたいと思いました。なので、席数もあえて多くは設けていません。たくさんの人を迎え入れるよりも、ここに来てくださる一人ひとりが安心して身を委ねられるように。そんな心地よさを、何よりも大切にしています。
お店には、新規の方も、何度も通ってくださる方もいます。「おまかせします」「いつもと同じで大丈夫です」そう言って任せていただくことも少なくありません。けれども、最初からすべてを任せてもらえるわけではなくて。初めて来てくださる方は、それぞれに「こうなりたい」というイメージを持って来られる方が多いので、まずはその気持ちを大切にしています。もちろん、この方にはこのスタイルが似合いそうだなと思うこともありますが、それを一度にすべて伝えることはしないようにしています。まずはもう一度来たいと思ってもらえるように。その積み重ねの中で、その人らしい空気感を一緒に見つけていけたらと思っています。そして最終的に、この“Endorr”という場所で身も心も預けてもらえていたら、とても嬉しいです。
髪を切る側でもあり、切られる側でもある私は、勉強も兼ねてできるだけ東京の美容室には行くようにしています。今通っている美容室も、技術やスタイルはもちろんですが、いちばん惹かれたのは美容師としての考え方。切る側としても、切られる側としても、その根底にあるのは思想であり、私の軸はそこにあるのだと思います。
私ができる、ただ一つのこと
振り返ると、私は本当にたくさんの縁に支えられてここまで来ました。本の出会いから始まり、大阪で過ごした時間、そして長野でのお店の立ち上げまで、私の考えに共感してくれる人たちがいつも身近にいました。そうした出会いがあったからこそ、小さい頃に抱いたまっすぐな気持ちを手放さずにここまで歩んでこられたのだと思います。
だからこそ次は、私が自分の手で、自分らしいかたちで還元していく番。Endorrは美容室であると同時に、可能性がひらかれていく場所でありたいと思っています。本の販売や展示、ポップアップの開催、ギャラリーとしての場所の貸し出しなど。美容に限らず、何か表現が好きな人たちが自然と集い、そこでまた新しい縁が生まれ何かにつながる場所でありたい。かつて私自身がさまざまな縁で道が開かれていたように、今度はこの場所が、誰かにとってのきっかけや選択肢のひとつになれたらと思っています。
それが私にできる、ただ一つのことだと思います。
私にとって美容師という仕事は、自分の手で誰かのためにできること。
ここに来てくれる人たちが少しでも幸せな気持ちになれたらいい。結局、人を幸せにすると自分も幸せになるんですよね。
百瀬あゆみMOMOSE Ayumi
ヘアスタイリスト
1993年生まれ。長野県出身。松本理容美容専門学校卒業。大阪1店舗、長野県内2店舗を経て2025年4月 Endorrを長野県松本市にオープン。
構成:小池舞佳