髪を切るということ 16

何度でも、自分に還る

西ヒロコ / ヘアメイク

昔から、人やその場の空気に自然と心が向いていました。
相手が何を求めているのかを考えたり、その空間に身を委ねたり。そうやって周りに合わせることは、私にとって特別なことではなく、いつの間にか身についた振る舞いなのだと思います。

けれど、周りに意識を向け続けていると、ときどき自分の感覚を少し後ろへ下げてしまうことがあります。本当は、何に美しさを感じ、何を大切にしたいのか。その感覚は、自分の中に確かにあるはずなのに、周りとの調和を優先したりするうちに、気づけば自分のまなざしを少し脇へ置いてしまう。ふと、「私は、これでいいのかな」と立ち止まってしまう時があります。

そんなとき、いつもお願いしている美容師さんに髪を切ってもらうと、「ああ、大丈夫だった」と思えるのです。自分が美しいと感じているものを、もう一度、自分の中心に据え直すことができる。鏡に映る自分を見ながら、そのことを静かに確かめられる。

だから私にとって髪を切るということは、単に見た目を整えるだけでなく、少し曖昧になっていた自分の輪郭を、そっとなぞり直すようなひとつの確認作業なのだと思います。

応えたい、その先へ

地元の福井で美容師として働いた後、一度現場から離れながらも、その後は美容室のブライダル部門でヘアメイクを担当していました。当時は、ヘアメイクというと、何かを足していくことで華やかさをつくる時代でした。派手さや視覚的な完成度が、そのまま美しさとして求められていたように思います。

その一方で、私が惹かれていたのは、あまり“しない”ヘアメイクでした。例えば雑誌『Olive』に漂っていた空気感のように、寝癖で髪がぴょんと跳ねている姿に、ふと目を奪われる。少し抜けていたり、整いきらなかったり。そうした、その人の体温や気配が滲むような佇まいに、どこか昔から惹かれていました。けれど、現場では別の美しさを求められていました。ある時、髪に大きくボリュームを出すヘアスタイルをうまく仕上げられず、お客さまから「これもできなくて、あなたは何ができるの?」と、けちょんけちょんに怒られてしまって。その言葉は、思っていた以上に私の中に残りました。美容師は、相手が抱えている悩みや願いに応えていくのが仕事なのだと、改めて突きつけられたような気がしました。

32歳の頃、ある雑誌で見かけたヘアメイクの方の作品に強く惹かれ、勢いのまま東京へ出て行きました。幸運にも、その方のアシスタントとして働けることになり、昼は撮影現場に、夜はパブで働く女性のみなさんのヘアメイクをしていました。夜の現場は時給も高く、生計を立てるためでもありましたが、福井にいた頃の自分を、どこか乗り越えたかったのかもしれません。髪に高さを出し、毛束の筋を際立たせるような“スジ盛り”全盛期のあの頃、熱気と欲望が入り混じる濃密な空気の中で、ひたすら“盛る”ことに向き合い続けました。

少しずつ技術が身につき、彼女たちに認められるようになると、それは素直に嬉しかったです。あの頃はとにかく必死でしたが、美しくありたいと願う彼女たちの切実な思いに、誠実に応えたい一心でした。

東京へ出て下積みの日々を過ごした後、ご縁に恵まれ、表参道にある美容室のヘアメイクアーティストとして活動するようになりました。そこは、自分の感覚を無理に変えることなくいられる、どこか安心できる場所でした。何か別のものへ変わるのではなく、その人らしさを大切にする。そんな在り方が当たり前のように息づいていました。私自身も、その空気に触れながら、ヘアメイクとは何かを、静かに見つめ直していた時期だったように思います。そうした時間の中で、その美容室の方と美容について考えを巡らせることもよくありました。ファッションとも、世間一般で語られるビューティーとも異なる、美容のあり方には、どんな形があるのだろうかと。そこで交えた言葉は、どこか自分の中にあった感覚とも重なるものだったように思います。そんな対話の延長線上で始まったのが、「するをしないメイク」の企画でした。

最初は、何を“する”のか、何を“しない”のか、自分でもうまく言葉にできなかったように思います。手探りのまま、お客さまの声に向き合いながらメイクをしていくうちに、皆さんのどこか緊張していた顔つきが、ふわっとゆるんでいく、そんな瞬間がありました。何かを足していくこととは少し違う、もっとその人自身に近いところに触れているのかもしれない。それが何のヘアメイクを指すのかは、まだぼんやりとしたままでしたが、少しずつ自分の中で芽生えてきたものを感じながら、私に何ができるのかを考え続けていました。その問いは、今でも形を変えながらも、ずっと私の中にあり続けています。

相手の希望に寄り添うことと、自分が美しいと思うもの。そのどちらも手放したくない。その思いのあいだを行き来しながら過ごしていた頃、育児の時間も重なり、私は一度ヘアメイクの世界から離れることにしました。離れることは怖くもありました。それでも、自分自身の感覚を、もう一度見つめ直したいと思ったのです。

身体の声を辿りながら

2026年の1月、がんの再発を告げられました。
3年前に患った病気が、再びお腹の中に広がっていると。初めての診察の日、一人で診察室に入ると、先生から「ここに来たということは、もう治らないということです」と言われました。取り乱すこともできず、ただ静かにその言葉を受け止めていました。

抗がん剤を始めて2週間ほどで、髪は驚くほどあっけなく抜け落ちました。「まるで妖怪じじいみたい」と笑ってやり過ごそうとしたけれど、鏡の前に映る私は、もうそれまでの自分とは違う別人のようでした。どんな洋服を合わせても、どこかしっくりこない。当たり前にあった髪を突然失って初めて、髪は、私の全身のバランスを整え、自分が自分であることを、静かに支えてくれていたのだと気づかされました。

その頃から、自分の身体がずっと発していた小さな違和感にも、もう目を逸らせなくなっていました。無理に相手に合わせたり、自分の気持ちに蓋をしたりすると、お腹が張る。抗がん剤を受けた時も、身体の奥に説明のつかないざらつきが残っていました。治療をやめれば半年——そう言われていました。怖かったです。それでも、今回は自分の感覚を手放してはいけない気がしていたんです。別の病院を訪ねたり、鍼に通ったりしながら、少しずつ自分の声に耳を傾けるようになっていきました。

ある日、鍼の先生から「みずみずしく歩きなさい」と言われたんです。鳥の鳴き声や、道端に咲く小さなお花、風に揺れる木々——そういう自然の喜びを感じながら歩くことが、一番いいのだと。病気のことで頭も身体も強ばっていた私にとって、その言葉は、閉じていた感覚をそっと外へ開いてくれるようでした。言われるまま、自然に身を委ね、五感をひらきながら歩き続けていると、止まっていたものが少しずつ動き始めていったんです。血流も、気持ちも、人との縁も。今は確かに、良い方向へ巡り始めている気がしています。

今の自分を、見つめて

ずっと前から、遺影——ポートレートを撮るための時間を持ちたいと思っていました。命に限りがあるとわかっていても、日々に追われていると、そのことをつい忘れてしまう。人はいついなくなるか分からないのに、自分がいなくなった後、どの写真が選ばれるかは、自分では選べない。それが、どこか寂しいなと思っていたんです。

だから一年に一度でも、今の自分を静かに見つめながらポートレートを撮る時間があってもいいなと思っています。きれいに映るためではなく、「私に生まれたこと」を確かめるように。昔は、ヘアメイクというと顔まわりの印象を整えることばかりを見ていました。でも今は、その人の佇まいや、過ごしてきた時間、纏っている空気までも含めて、その人だと感じています。ヘアメイクは、その全体の中にそっと関わる一部なのだと感じています。

撮影の時も、ヘアメイクが必要であればする。必要なければ、しない。人はきっと、本当のことを自分が一番知っているのだと思います。だからこそ大切にしたいのは、その人がその人自身へと戻っていけるような時間を、ともにつくることです。様々なものがようやく巡り始めた今、やっとその一歩を踏み出せる気がしています。

それでもきっとまた、自分の内側にあるものを、そっと脇へ寄せてしまうのかもしれません。そのたびに、髪を切って、自分の輪郭を少しずつ確かめる。そうやって、何度も戻りながら、自分の感覚に触れ直していくのだと思います。

西ヒロコNISHI Hiroko

ヘアメイク

福井県出身。美容師、ブライダルヘアメイクを経て上京。広告・ファッション・人物撮影などのヘアメイクに携わる。現在は、髪やメイクを通して、その人がその人自身に戻る時間を大切にしている。

構成:小池舞佳