髪を切るということ 01

生態的で、あるいは理性的なところに立ち返る

深澤直人 / プロダクトデザイナー

髪を切るとき何をしていますか?きっと今日はそう聞かれるだろうと考えていたんですが、僕は目を瞑るかなぁ。眠るとき以外に人間が目を瞑ることなんてほぼないでしょう。でも僕は鏡の前に座ると自然に、自分の髪型を気にするともなく目を瞑っています。やがて彼が髪を切りながら僕に質問をしてくれるので、「この前こういうことがあってね」と返しながら目を開いて会話をして、また瞑って、その繰り返しかな。

僕にとって髪を切るということは、片付けをするような気分に近い。生活はきちんとケアしないとヘルシーではなくなっていくでしょう。きちんとしていたいという思いが一番にあって、でもきちんとできない自分もいて。人間は誰もが宿題や処理しきれない課題を持って生きていて、僕の場合、その宿題が解決しないと自分の調子が狂っていき、生活も乱れていく。それが嫌で断ち切りたいときに髪を切る。すっきりします。もっと早く片付けておけばよかったなあと思いながら。

彼に髪を切ってもらうようになったのは彼が独立する前に在籍していたお店の頃からなので、約20年になります。当時、原宿のキャットストリート沿いに自分の仕事場があったんですが、その裏にお店があったからという理由で通うようになりました。初めて切ってもらったのは確かNHKの番組に出演するときだと思います。「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組がまだシリーズ化する前に単発での放送(2004年)があって、それに僕は出演することになったんです。約2か月半、ずっと僕の仕事現場にカメラがついて回ったんですが、NHKのスタジオで収録するパートがあるというので髪を整えようと、彼に切ってもらいました。

以来、約1か月に1度ぐらいのペースで切りに行っています。忙しくなるとそのペースでは通えないときもありますが、行くと溜まった話を彼とします。一応、最初に髪型に関して聞かれるんですよ。「いつもと同じですね?」と。「そうです」と僕は答える。自分からこうしてほしいと希望を伝えたことは一度もないです。一番ふつうの髪型にしてくださいと、そういう態度ですべてお任せしています。そのふつうが本来難しいものだけど、彼は僕をよく観察していて、表情や体型の変化に応じて整えている。以前、彼と「ふつうの髪型とはどんなもの?」と話をしていたら、僕はこう言いました。「例えば髪の毛を後ろでひとつに結んでいる女の人が美しいと思うんだけどなぁ」って。彼は、「そうなんですよ!でもなかなかわかってくれないんです。それじゃ何もしていないみたいだって」

意識や思考から物事を束ねない

この取材を引き受けると決まった後に髪を切りにいくと、「取材で話すことはもう考えているんですか?」と彼に質問されて、「もちろん。もう全部考えてある」と答えたら、「そうですか〜!」と(笑)。考えてあると答えたのは、彼の質問に対する僕の反応です。そもそも会話とは反応だと思うんです。だから僕にとって生活とはその反応のもとを溜めておく場。今回なら取材依頼をいただいた時点で「髪を切るということ」というキーワードが自分のなかに入力されているから、それを持ちながら常に歩いている。するとあるときふっと「こういうことか」と気づき、それが会話のなかで反応となって自然と出るんです。

反応は、僕自身の仕事にもすごく繋がっています。仕事のアイデアとは日頃から考え抱えているものではなくて、依頼がまずあってそれに反応し、対応することがアイデアなんです。言い換えると「機智」ですね。機智には「その場に応じて咄嗟に対応や発言ができるような鋭い才知」という意味がありますが、僕はこの経験に裏付けされた機智がデザインであると思っています。

機智と言えば、海外で頼まれた講演のタイトルで咄嗟に思い浮かんだのが「創発」でした。創発とは、部分のふるまいや性質の単純な総和を超える、高度で複雑な秩序やシステムが現れること。物理学や生物学などで使われる「emergence」(発現・出現)が原語ですが、難しい言葉ですよね。この創発の事例を話すと言葉が平たくなってしまいますが、例えば森の中で木々を見上げた時、木々の先端の葉が交わらず、お互いに譲り合っている様に見えるときがあります。これが創発です。また海の中のイワシ。リーダーはいないのにまるで渦を巻くように一糸乱れぬ集団行動をするでしょう。あの行動は何を成しているのか。これも創発です。創発は予測できない秩序を生む。自然には秩序があるんですよ。秩序がなかったらただの混沌になる。だから創発はものすごくクリエイティブなんです。

僕たちはもっと創発について考えるべきだと思います。人間も意識や思考から物事を束ねるのではなく、自然に立ち現れてくることに素直に従ったり、受け取ったりするのが一番いい。自分は動物であって、非常に素直な身体を持っているということを中心に考えれば、たいがいの共通項は見えてきます。

でも、現実はそう簡単にはいかないものです。人間は感情と身体の動作を分けられる脳を持っているので、それゆえときどき僕は人間関係において失敗をします。僕はおっちょこちょいなので、すぐに人を信じてしまうし影響されるので本来の自然、生態的で、あるいは理性的なところから逸れてしまう。だからその度に周りの人に支えてもらっています。まさに髪を切るということもそう。彼に髪を切ってもらうことで逸れていたものから立ち返る。そうやって自分を確立しているところがあるんじゃないかな。

深澤直人FUKASAWA Naoto

プロダクトデザイナー

1956年山梨県生まれ。1980年多摩美術大学プロダクトデザイン学科卒業。シリコンバレーの産業を中心としたデザインの仕事に7年間従事した後、1996年に帰国。2003年NAOTO FUKASAWA DESIGNを設立。世界を代表するブランドや日本国内の企業のデザイン、コンサルティングを多数手がける。多摩美術大学美術学部総合デザイン学科教授。日本民藝館館長。2022年に一般財団法人THE DESIGN SCIENCE FOUNDATIONを創設。

取材・構成:水島七恵