髪を切るということ 03

髪型について私が知っている二、三の事柄

中山英之 / 建築家

髪型とは、世界のかたち

もうずいぶん前のこと。視覚に障害をもっている方々と長年対話を続けられているある学者さんから、髪型についての興味深いお話しを聞いたことがあります。そうした方の多くにとって、髪というのは感覚器のひとつだというのです。たとえば傍らに柵が並ぶ道を歩くと、格子を抜けた風が髪を撫でます。その時、風上側に規則的に並ぶ柵は、かすかにゆれる髪を通じて「縞々の風」として感受されている。どうやらそんな感じらしいのです。その人が何気なく言った「縞々の風」という表現が、ずっと記憶に残っています。街という複雑な立体物が作り出す、いろいろな風のかたち。細長い風、薄っぺらい風、まんまるの風、ビッと尖った風。さまざまなかたちとリズムで髪を揺らす風が、脳内に描き出す風景の中を歩く。だから髪型を変えることは、この感覚器を通じて自分のなかに広がる風景の記憶を、別のかたちへと変質させてしまうことに等しいんですよ。確かそんなふうな説明を聞いて、びっくりしたことを憶えています。髪を切ると、自分の姿ではなく、世界のかたちが変わってしまうのですから。

さわやかな無意味

こんな友人がいます。その人の仕事はインダストリアル・デザインです。もしかしたらさっきあなたの髪を乾かしたあのドライヤーは、新しい髪型を自撮りしたそのカメラは、たった今お茶をしているお尻の下の椅子は、、、。その人が普段デザインしているのは、私たちがきっと一度は触れたことのあるそんな家電や工業製品たちです。ひとたびデザインが決まると、それらを量産するための金型が起こされ、材料が発注され、生産ラインが整えられて、そうなってしまえばもう後には戻れません。だからデザインにまつわるひとつひとつの判断は、あらゆる段階でその理由を、意味を、徹底的に問いただされ続けます。なぜこのエッジはその角度なのですか。どうしてこの目地はその深さなのですか。そして、それら全ての質問に、インダストリアル・デザイナーは答えを持っているのです。そんな仕事をずっと続けてきた友人にとって、一番羨ましく、そして答えの分からない「デザイン」が、ひとつだけあるそうです。「髪型です」。ある時その人は、とても真面目な顔をしてそう言いました。編んだり、結ったり、刈り込んだり、尖らせたり、巻いたり、盛ったり、、、。信じられないくらいの多彩さとバリエーションで、私たちを夢中にさせるそのかたちに、毎度理由を説明する必要がありますか。その毛先の遊びに、何かの働きを問われることがありますか。あらゆる意味を問われ続ける人生にとって、この世界にあんまりきちんと説明できないけれど、だれもが熱狂する「デザイン」がちゃんとある。そのことが、とてもさわやかに感じられるらしいですよ。

秘密の隠し場所

皆さん「ヘッドプロップ」という言葉をご存知ですか?舞台の世界では小道具と訳されたりする言葉「プロップ」を「頭」と組み合わせた造語を創造した、ある元美容師さんから聞いたお話。ヘッドプロップとは、様々な素材で作られた、いわゆる「被り物」です。ただし、帽子や髪飾りと違うのは、着用した後に、その人に合わせてそれらをカットすることで完成する、という点。美容師として培った、ひとりひとりの個性やコンディションを瞬時に読み取る即興的な感覚と、ずっと好きだったコルセットや装身具といった、入念に仕立て上げられた造形物への愛。それらを融合させたところに生まれたのがヘッドプロップです。この発想はすぐに世界のコアなファッション界で評判になって、久しぶりに帰国した日本でも小さな展示会を催したところ、ある年配の女性からオーダーの依頼が舞い込みました。ここに名前は書きませんが、この方が司会を務める長寿番組を知らない読者の方は、たぶんいないのではないでしょうか。唯一無二の髪型の持ち主でもある彼女は、ファッションもいつだって完璧です。ピンマイクを挿すことで、襟元のデザインが乱されることも絶対に許しません。もう分かりましたよね。オーダーを取りに行った先でそっと教えてもらった、マイクの隠し場所の秘密。髪型にもときどき、「意味」や「働き」があるのです。

おしまいに

最後まで他の人の話ばっかりでしたね。僕は普段、建築の設計をしています。だから世の中にあるいろいろなかたちや、それが生み出される時間に、とても興味があります。誰かの話を聞くと、それまでの自分の考え方や、世界の見え方が変わる。そういう瞬間が僕はほんとうに好きです。肝心の自分の髪型には正直無頓着な方ですが、「紺屋の白袴」なんていうかっこいい言葉もありますよね。今日はそういう気持ちで、「髪を切るということ」と聞いてふと思い出した、自分のまわりにいる素敵な人たちのことをお話ししました。

中山英之NAKAYAMA Hideyuki

建築家

1972年福岡県生まれ。中山英之建築設計事務所主宰。東京藝術大学准教授。国内外でさまざまな建築プロジェクトに携わるだけでなく、「MITOSAYA薬草園蒸留所」の工場設計や、「モネー光の中に」展(POLA美術館)など美術展の会場構成、『未練の幽霊と怪物』(岡田利規作・演出)の舞台美術など、活動の範囲が広がっている。主著に『中山英之|1/1000000000』(LIXIL出版)、『,and then 5 films of 5 architectures 建築のそれからにまつわる5本の映画 中山英之』(TOTO出版)など。最新の仕事は「文化村ル・シネマ渋谷宮下」のロビー空間。
http://www.hideyukinakayama.com