髪を切るということ 09

自然を受け入れる

壁谷悠介 / 医師

泣かない看取り

僕は普段、在宅医療の医師をしています。在宅医療とは、病院での外来や入院とは違い、住み慣れた自宅などで診療や治療、処置などを行うことです。患者さんも、その周りにいるご家族も、自然に最期までの時間を過ごせるように、医療だけではなく、療養環境を整えたり、患者さんやご家族の意思を丁寧に伺ったり、病院とは異なるアプローチでの医療を行なっています。

ご自宅に伺うので、患者さんの家庭環境やご家族との関係など、かなり深いところまで垣間見ることになります。反対に、患者さんやご家族は僕たちにそれを見せることになるので双方の信頼もより深まっていき、“近しい第三者”くらいの関係性のなかで医療をしている感覚があります。

在宅医療では、多くの患者さんの看取りにも立ち会います。そのなかで、ご家族が患者さんにきちんと向き合えたとき、時折「泣かない看取り」に出合うことがあります。

例えば、自分の親が入院しているとき。常に親の近くにいるのは、面会時間などの関係から、看護師や医師が多いでしょう。しかし在宅医療はそうではなく、一番近くに家族がいます。そこから、家族では対応できないことを看護師さんたちが支え、さらに、必要な薬の処方や治療を僕たち医師が行います。ご家族は患者さんの老いや病による苦痛を身近で感じることとなり、それぞれのタイミングで感情が溢れてしまうこともあります。しかしそういう過程をきちんと経ていくことで、最後の瞬間、見送る際には悲嘆の涙はないことが多いんです。むしろ「いい時間を過ごせました」と僕たちに伝えてくれる方もいらっしゃいます。自分の大切な人を見送っていくことは、赤ちゃんを家に迎えるのと同じように、本来温かいものなのかもしれない。とても不思議な感覚ですが、そんなことを感じたりしています。

生活を整えることで、癒される

在宅医療を始めたとき、そうした温かな看取りのことを僕に教えてくれた看護師さんは言いました。「例えば、がんの患者さんがいて、医師はすぐに薬を出してしまうでしょう。でもまずは患者さんの体を拭いて、ベッドのシーツを変えて、新しい寝巻きに着替えてあげる。それでも痛みがあるときに、少しの痛み止めを出す。それで十分なこともあるのよ」と。生活を整えることが、その人の痛みを減らすことにつながることもある。そう気づかせてもらったこの言葉は、現場に携わっていくことで実感に変わってきました。

僕にとっての髪を切るということも、まさに「整える」のための行為でもあるように感じています。二ヶ月に一度、表参道アトリエを訪ねてJさんに髪を切ってもらいながら、近況を聞いたり話したりする。とても新鮮な気持ちになって、僕はまた医療の現場に向き合っていく。ただ髪を切られていくことを無為に待つのではなく、その過程を共に見ながら、Jさんと会話をすることがとても有意義であり、それも含めて髪を切ることなのだろうと思うんです。

Jさんのカットはどこか、状況にそぐわないものを取り除いてくれるような感覚があります。それは、老いや死を自然な現象として受け入れていくことともつながっているのかもしれません。大切な人の看取りに向き合えた患者さんやご家族はきっと、その過程で必要以上に生に固執しすぎずに、自然を受け入れてきた。だからこそ、最期の瞬間を温かく迎えることができたんだと思います。僕の仕事は、そうした患者さんとご家族にとって、とても貴重な時間を作っていくことでもあります。最期の時間を丁寧に過ごすことができるご家族が増えていくことで、その地域全体も前を向いていけるよう、これからも関わり続けていきます。

壁谷悠介KABEYA Yusuke

医師

1977年愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒業後、内科医師として診療に従事。
2010年英国Imperial College Londonにて公衆衛生学修士を修了。以降、個の患者を診るのみならず、地域を診ることに視点を持つ。
2017年より活動の場を病院から在宅医療に移し、新しい地域医療の形を模索、2020年より医療法人社団さんりつ会を設立し診療および在宅医療の普及活動を行っている。

構成:熊谷麻那