
髪を切るということ 13
ほどよい他人でいること
黒田勇気 / ヘアスタイリスト
もともとは、ヘアメイクの仕事がしたかったのです。けれど当時はまだ専属の事務所もほとんどなく、生計を立てるには誰かに弟子入りして、繋がりをつくり独立するしかありませんでした。当時は「飲みに行ってお酌をしなきゃだめだ」と、先輩から言われたこともありました。
私は引っ込み思案で、気の利いた振る舞いも得意ではなかったので、この道は難しいかもしれないと思い、まずは美容師として一人前になることを目指しました。
はじめて働いたのは、表参道にある、美容師なら誰もが知っているであろう有名な美容室でした。ちょうど “カリスマ美容師”という言葉が注目されはじめた時代で、同僚たちは「ここで一番になってやるぞ」と熱意に満ちていました。一方、私はその熱気のなかで、次第に自分の目標を見失ってしまったのです。
当時は流行りのミュージシャンの影響で、学生も社会人もハイトーンカラーや、軽くすいたスタイルが好まれていました。その結果、お客さんの髪は傷み、美容師の手はみなボロボロで。お客さまを美しくするという仕事をしながら、寝る間を惜しんで働きづめ。大量のカラー剤や薬液を流すことで自然環境も汚れていきますし、「私はいったい何をしているのだろう」と。ふと周囲を見渡すと、美容師もお客さまもどこか疲れているように感じました。
怖がっていたら、あっという間
それで一度外に出ようと、7年間勤めた美容室を辞めて、母の故郷であるカナダへ渡りました。
生活のために仕事を見つける必要があったのですが、引っ込み思案な性格もあり、「どうしよう、どうしよう」と悩んでばかりでなかなか動き出せず。そんなとき一緒に暮らしていた方が「知り合いが美容師のアルバイトを探しているらしいよ」と教えてくれて、ひとまずそこで働くことにしました。
もともとカナダで美容師をするつもりはなかったんですが、これまでに身につけた技術によって自然と手が動きました。言葉がうまく通じなくても、仕事はできる。そう実感したものの、それでも人と接することの苦手意識は変わりませんでした。場所を変えるだけでは、自分の課題は解決しなかったんですね。
それでもう一度、美容に向き合おうと、帰国後は表参道の美容室に戻るのではなく、住宅街に佇む小さな美容室で働いたり、水商売の女性たちの髪を結うアルバイトをしたりしました。そこで髪を切っていくうちに「必要なのは、ただ溢れる声に耳を傾けることだ」と思えるようになったのです。お客さまが語る日々の愚痴や印象的だった出来事などを聞きながら、淡々と手を動かすこと。それまでずっとお客さまとの会話に悩みつづけてきたけれど、自分にとってはこれが自然な形だったんだと。少しずつですが、自分のなかに軸のようなものができていきました。
そしてちょうどその頃、カナダで暮らしていた母を看取りました。身近な人が亡くなると、「人って、本当に死ぬんだ」と強く実感するものですね。当時、母は57歳で、私は30歳。「いつか自分の店を持てたら」という思いはずっとあったものの、心のどこかでずっと怖がっていたのだと思います。でもこのまま迷っていたら、あっという間に10年、20年と時間が過ぎてしまうかもしれない。そう思ったとき、「だったら、もう選んでしまおう」と踏ん切りがつきました。その先のことは、動き出してから考えればいい——そう思って、地元・伊豆へ移り、自分の美容室を開きました。

日々を受け取り、流していく
この場所には、ご年配の方が多くいらっしゃいます。身体の衰えからご自身で身なりを整えることを億劫に感じられる方もいて、ほんの少し髪を整えるだけで、本当にうれしそうな表情を見せてくださいます。お店を開いて3、4年が経ったころでしょうか。そうして整えるという行為に、自分自身も深いよろこびを感じていることに気づきました。
たとえば、髪はほぼ切らずに整えるだけの日もあります。でも、お客さまはここで時間を過ごす中で、「最近こんなことがあってね」と、たわいもないことをたくさん語られます。すると帰り際にはどこか血色がよくなって、顔がやわらいでいる。そんな場面に何度も立ち会います。きっとお客さまが抱えていたものを、少しずつ手放していかれるのですね。それを静かに受けとめて、流していくこと。自分ができるのは、そんなことなのだと思います。
あるお客さまが、髪を切る長さをミリ単位でご指定されます。もともとかなり短く刈り上げていらっしゃるのですが、それでも「もう少し、ここを」と、細かくオーダーを重ねられることがあります。正直なところ、もう切るところがないのでは、と思う瞬間もありますが、お客さまのお仕事の話を伺ううちに、その背景にある大きなプレッシャーや緊張感が少しずつ見えてきます。責任の重いお立場で、日々張りつめた時間を過ごしていらっしゃるのだと知ると、その数ミリのこだわりも、ほんのわずかな「整え直し」の時間が、心を保つために必要なのかもしれないと感じるのです。それなら私は、とことん付き合おうと。
そうして向き合っていくと、時折思いもよらないところで「あ、ここまでいきたかったんだ」と、ぴたりとハマる感覚に出会えることがあります。そこで「私はまだまだ勉強が足りないな」と感じたりして。そして何より、最後にすっきりとした表情で帰られるのを見ると、改めて自分の役割を確認しているような気がするのです。
ほどよい他人だから、できること
美容師は、お客さまの人生に寄り添う仕事です。結婚式や七五三といった人生の節目に立ち会うこともあり、つかず離れずその方の人生と並走していくような感覚があります。それは表参道で働いていたころも、伊豆に来てからも変わりません。
ある人と定期的にお会いする。親友というわけでもないけれど、その人のことをある程度知っていて、しかも身体に触れる距離にいる——そんな「ほどよい他人」なんです。
友人や家族のような身近な存在こそ、言えないことがあったりしませんか。「気を遣わせちゃうな」「迷惑かな」と。 “ほどよい他人”だからこそ、ふと心のうちを打ち明けられることもある。お店を出るときに「今日、ちょっと軽くなったな」と感じていただけたら、私はとてもうれしくなります。シャンプーをしていると、何度も褒めてくださるおばあさまもいらっしゃるんですよ。「はあ、極楽ね〜」って。そんなとき、美容師とはつくづくいい仕事だなあと思います。

黒田勇気KURODA Yuki
ヘアスタイリスト
1976年生まれ。1996年窪田理容美容専門学校卒業。同年、表参道にある美容室に入社。2003年に退社後、大小さまざまな業務形態の美容業に携わりその後2009年、伊豆にて美容室POPPYをオープンし現在に至る。
構成:熊谷麻那